近代化は電気と共に・時代を照らした100年を振り返る
旭日電気工業は創業以来時代の要請に全力で応え、快適で明るい暮らしを支えてきました。
苦難の時代にも前を向き続けたそのあゆみは電気施工技術の向上と社会の変化と共にありました。
-
創業、そして会社設立へ
創業者・富井金吾は、1890 年千葉県に生を受け、1914年に上京。横浜電線製造株式会社(現・古河電気工業株式会社)を始めとした電気・工事関連企業で経験を積み、1921 年(大正10 年)頃、東京市内で電気工事業として独立を果たした。
- 1934年合資会社旭日電気工業社に組織変更
- 1941年旭日電気工業株式会社に組織変更
- #旭日電気工業創業
- #富井金吾
- #古河電気工業
創業者・第二代社長
富井 金吾Topics
廣川 弘禅 初代社長・廣川 弘禅
世田谷町三宿に酒屋を開業した縁で創業の富井家と親しくなり、1940年衆議院議員選挙出馬の際、富井家が後援会の中心的役割を果たし初当選を支えた。1941年改組による旭日電気工業株式会社設立にあたり、請われて社長に就任した。戦後は吉田茂の懐刀として農林大臣等を務めた。
-
戦後復興期の発展と業界への貢献
戦前からの実績が認められ、焼け跡からの建設ラッシュの中で業績を伸ばした。当時の受注工事は官公庁が7 割を占めた。1947 年、渋谷区桜丘町に2 階建の新事務所を開設し、移転した。業界発展を考えた富井金吾の発案で1948年に日本電設工業会の前身である電設工業会が設立された。
- 1947年渋谷区桜丘町に新事務所を開設
- 1950年三越百貨店本店、銀座店、新宿店の改修に伴う電気工事を受注
- #戦後復興
- #公共工事
- #日本電設工業会
戦後創刊された社内報の各創刊号 Topics
富井 金三郎 富井金三郎の社長就任
1957 年、廣川弘禅が会長に退き、富井金吾が取締役社長、弟・金三郎が専務取締役に就任。1959 年、金三郎の取締役社長就任にともない会長となった金吾は翌年逝去した。金吾の技は業界に鳴り響き、当社の技術への信頼を一身に具現しているような人物であったと言われている。
-
高度成長期に業績を拡大
1964年の東京オリンピックを契機にした高度成長期、GNP世界第2位と躍進する中で、代々木競技場・首都高速などの電気工事などを受注した当社も業績を拡大。その後民間工事へも進出し、社長・富井金三郎の日本電設工業会副会長就任や電設工業大学設立など、業界発展にも貢献。社員数は330名を超えた。
- 1963年完成工事高10億円を突破
- 1972年本社を世田谷区新町の現本社ビルに移転
- #東京オリンピック
- #電設工業大学
- #本社移転
竣工した新本社ビル -
オイルショックと民間へのシフト
1973年のオイルショックに伴う大型公共事業凍結等により、日本経済が低迷する中、当社は民間シフトの戦略が功を奏して安定した業績。さらにゼネコンとの取引を拡大する一方で「財務改善5か年計画」を立案し、体力強化に努めた。
- 1976年富井 敏雄 社長就任
- 1985年黒川 浩志 社長就任
- #オイルショック
- #省エネ
- #ゼネコン
総務部(昭和53年) 資材部(昭和53年) -
堅実経営でバブル崩壊に勝利
当社は、バブル景気の間は財務再建と社内改革に取り組む堅実な経営を実施し、バブル崩壊後は政府対策の公共事業増大で打撃回避に成功した。グローバル化の流れの中で品質管理の国際化を図り、1999年に品質マネジメントシステムに関する国際規格であるISO9001を取得した。
- 1989年完成工事高100億円を達成
- #バブル景気
- #グローバル化
- #ISO9001
黒川社長が提唱した「五ツの“ ゆ”」 -
リーマンショックを乗り越えリニューアル受注へ
2008年のリーマンショックによる逆境を乗り切るため、ベイエリア等の超高層マンション開発の電気工事に参入。実績と技術力を背景にリスクを取る姿勢が功を奏し、民間受注を伸ばして業績を回復。組織改革を進め、営業力を強化し、省エネ化・スマート化に対応してリニューアル需要の取り込みに成功した。
- 2005年富井 弘之 社長就任
- 2010年三越銀座本館新館内装電気工事
- 2011年シティタワー宇都宮新築工事
- #リーマンショック
- #タワーマンション
- #リニューアル需要
第六代社長・富井 弘之 -
サステナブルな未来をエネルギーインフラで支える
再生可能エネルギー発電や自動車のEV化に対応して新ビジネスを開拓するととともに、技術者、労働力の確保のためベトナムを始めとした海外人財の育成と活用に努めます。国内外の優秀な人材を活用し、グローバルな視野で品質向上を目指します。